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意識を解明する「情報統合理論」

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続きものです。
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意識が宿る条件を探る

前回は
大脳に意識が宿っている
ところまでは突き止めた。
だが、
なんで大脳にだけ意識が宿るのか?
という疑問が生まれた。
同じ、ニューロンとシナプスで出来ている小脳にも意識が宿ってもいいように思える。

だけど違いはあるはずだ。
だって、異なる事象を発生させているのだから違いがないわけがない。
そうして小脳と大脳の構造を細かく調べると違いがわかった。

ニューロン同士のつながり方が大脳と小脳だと異なるのだ。
小脳のニューロン同士のつながりは以下のように規則正しいものだった。
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それと比べ大脳のニューロン同士のつながりは複雑で規則正しいものではなかった。
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じゃあ、観測結果から結論はこう出せる。
ニューロンの結びつき方が規則正しいと意識は生まれず、
複雑だと意識は生まれる。

複雑さと意識「情報統合理論」

ニューロンの結びつき方の複雑さが意識を生んでいるということは
大脳と小脳のちがいを見てわかった。
けどいまいち感覚的にわかりにくい。
なのでニューロンとシナプスの使われ方を関係を日常生活にたとえてみてみよう。

たとえば、
「出かけるときに傘を持っていくかどうか?」
という問題があったとしよう。
あなたは
パターンA「天気予報をしっかり見ていた」

パターンB「天気予報を流し見していた」
の二通りの行動をとることができるとする。
複雑に下のようにニューロン同士が絡み合っているとする。
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Aのパターンのニューロンに入ったとき
AのニューロンはC,Dのニューロンとシナプスでつながっているが、
BのニューロンはDのニューロンしかつながっていない。

Cは「天気予報が雨だったか?」という情報を持っているニューロン、
Dは「今雨が降っているか?」という情報のニューロン、
EはC,Dの結果を受けて「傘を持っていくか?」という結果を出すニューロンだとする。

Aのニューロンを通った場合は「雨が降っているか、天気予報は雨か」によって傘を持っていくかのかを決め、
Bのニューロンの場合は天気予報の情報は関係なく、今、雨が降っているかで傘を持っていくかが決まる。

Bのパターンで天気予報が雨と言い、今、晴れていたら、BはCとつながっていないので「天気予報の情報は関係なく」
「晴れてたから傘忘れちゃった。そういえば天気予報で雨降るっていってたなぁ」
という感じの反応になる。
この行動は、意識がある人の行動にみえる。

だが、仮に規則正しくひもづいている場合は、破線のようにBとCがつながり、「天気予報の情報も取り入れられる」。
なので、
「全然気にしないで耳に入ってきた天気予報の情報を基に傘を持っていくか否か」
が判断されるのだ。
「天気は晴れてる。なぜか私は傘を持ってる。そういえば天気予報で雨降るっていってた、だから私は傘を持ってる」
という反応になるのだ。
これは人間的というよりロボットに近いだろう。

このことからもわかるように、
意識とは複雑にニューロンが絡み合って情報の統合が行われるときに生まれる。
複数な情報を統合して出される結果に意識が宿るのだ。
そしてこの考え方を「情報統合理論」という。
正確にはちゃんと数式があり、
どの程度の複雑さから、結論が出されたのかが、値として算出される。
この値がある値以上になったら意識が存在すると判断されるのだ。

なんだか、これだけ聞くと意識って簡単に作れそうだなぁと思って、
この理論を疑いたくなるだろう。
だけど、この理論は確かに意識を観測できることを証明している。

情報統合理論は意識を観測できる

ロックトレイン症候群という病気がある。
これは、
「意識はあるが体を動かす神経が破壊されて身動きの取れない」
病気だ。
この病気は脳死と判断されることが多く、患者の反応がないから意識がないのか、
それとも意識があるのかわからないのである。
こんなに恐ろしい病気はない。

考えてみてほしい、もし、あなたが交通事故にあったとする。
そして、ロックトイン症候群になる。
そうしたら医者は
「彼は意識がありません。もしかしたらもう意識が戻らないかもしれません。」
という。
だが、あなたは意識があり、その声が聞こえるのだ。
あなたの家族はすすり泣く。
そんな光景をみて、あなたは家族に必死に声をかけようと、手を上げようとする。
が、何も反応できないのだ。

この病気はたいてい家族の人が病人の細かい動作をみて、
目の動きで反応してると気がついて発覚する。
だがもし、本当に体のどの部分も反応できなかったら
一生誰も意識があるとさえ知らずにあなたは死んでいくのだ。
こんなに恐ろしいことはない。

そしてこの病気に立ち向かうのが「情報統合理論」だ。
そもそも、この理論は発見したのは医者だ。
だから「意識とは複雑な情報が統合されたものです」で終わりなはずがない。
医者は病気を治すために存在しているのだ。
だから、この理論だって「意識を観測し呼び戻す」ために存在しているのだ。

意識の観測方法はこうだ。
大脳の一部に刺激を与える。
大脳がシナプスによって複雑につながっているなら
大脳の様々な部分で反応があり意識はある。
逆につながってないなら
刺激を与えたところのみ反応があり意識がないという予測だ。

まずは「起きている人と寝ている人」で試す。
起きている人は意識があり、寝ている人は意識がないという論法だ。
そうすると起きている人は、大脳の様々な部分で反応があり、
寝ていると反応の伝播がなかったのだ。
想像通りの結果となった。
意識は大脳でニューロンが複雑につながってできている。

そして、事故でこん睡して意識がないとされる人に試す。
最初は反応の電波はなかった。
そして、この患者の観測を長く続けていると、
こん睡しているにもかかわらず「大脳の様々な部分で反応」が出るようになったのだ。
そして、数日後この患者は意識を取り戻した。

ロックトインの患者でも反応の電波(意識)を観測できたのだ。

このように「情報統合理論」に基づいた方法で意識を観測でたのだ。
だが、まだわからないことは多くある。
ではどの程度、複雑性があれば意識が生まれるのだろうか?
これはまだわかっていない事柄だ。
だが、もっと研究が進めば
「大脳の数%動くのであれば意識はある」
とか
「ニューロンとシナプスがこのぐらいあれば意識がある」
とか
定められるだろう。
そうしたら、事故にあった人が、
今は20%の大脳しか動いていないので後、数%脳みその代わりをする、
量子コンピュータを入れてあげれば意識が取り戻せますよ、という話になるかもしれない。
さらに研究が進めば、もしかしたら、あなたのニューロンとシナプスをコピーして、
あなたの意識と同じ意識を持った人形が作れるかもしれない。

この意識の持った人形を、
人間は意識があると判断するのだろうか?