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「真理とはあなたが最も大切にする事柄である」 キルケゴールの哲学

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幸福とは何か?

真理とは確かな根拠に基づく確かな事実である。
哲学者っていうのは大体、真理を求めている。
そして誰もが考えるであろう、
「幸せとは何か、生きる意味とは何か?」
という命題に対して、真理を考えているのである。

あなただって、
「”それ”って結局○○でしょ」
という言葉を言ったことがあるのではないでしょうか?
その”それ”が哲学者にとって「幸せとは何か、生きる意味」なのだ。

タイトルにもあるとおり
「真理とはあなたが最も大切にする事柄である」とは言いかえれば
「”幸せ”とはあなたが最も大切にする事柄である」ということで、
結局
「幸せなんて人それぞれでしょ」
というよく聞く考え方なのである。

死に至る病

では、キルケゴールのが哲学者として何が素晴らしいのかというと、
その論理展開にある。
キルケゴールは「死に至る病」があるから人は不幸になると考えた。
その病は一生治らず、精神を蝕み続けるという。
その正体は「理想の自分」だ。

「大金持ちになりたいなぁ」とか
「人気のyoutuber」になりたいとかそういったものだ。
だが、現実はそう甘くない。
大体はなれないし、なれたとしてもまた別の「理想の自分」が生まれる。
「次はああしよう、それが終わったらこうしよう」と、人間の欲望は止まらない。
そして、理想の自分になれなかった人間は
「あぁ、私はだめな人間だ」と落ち込む。
これこそ「死ぬまで治らない病」だとキルケゴールは考えた。

不幸から逃れるために

さて、あなたならこの
「理想の自分を思い描いて落胆してしまう」
という命題を聞いた時、どうすればよいと考えるだろうか?

私はここで
「だったら、理想の自分なんて持たなければいい!あるがままを受け入れることも大切だ」
という答えがくるのではないかと思った。
だが、この考えは「ダメ人間を製造する」考えだ。

たとえば多くの人が持っている理想像
「遅刻してはいけない」
ということを考える。
もし、遅刻してしまったとき私の考えだと
「私は遅刻する人間なんだから仕方ないじゃん♪」
という結論に至り、傍から何とも自分勝手な考え方だ。
もちろん、キルケゴールの答えは違った。

では、この「理想の自分を思い描いて落胆してしまう」という命題に対してキルケゴールは
どのような回答を導いたのか?
その答えは「可能性」である。

先ほどの例で考えると
「遅刻する」

「理想の自分がいるため落ち込む」
となるわけだが、
キルケゴールは
「いやいや、落ち込むのではなく、可能性を見ろ、あなたは遅刻しないことも可能だったのではないか?家をあと5分早く出れば、次からは遅刻しないで済むのではないか?落ち込んでる暇があるなら可能性を考えろ!!」
と答えたのである。
理想の自分に近づきつつ、落ち込まないという理想的な考え方である。

では、「真理とはあなたが最も大切にする事柄である」と言っているがもし、
最も大切にする事柄が「プロ野球選手になること」だったらどうだろう。
50歳になって
「あぁ、私は本当はプロ野球選手になりたかった。でも、どう考えても不可能だ。絶望しかない。」
となったとき、「可能性」なんてないじゃないか!
キルケゴールはこういう無理難題に対してもキチンと答えを導いている。
こういう場合は
「神に祈れ!祈れば神様が不可能を可能にしてくれる!だから祈るんだ!!」
という答えだ。
これはどうだろう。
その通りだと思えるだろうか?
昔ならいざ知れず、今の世の中、心の底から「神様なら何とかしてくれる」
と心の底から思える日本人はかなり少ない。
「結局祈ったってその願いはかなわないよ」
と思うかもしれないが、待ってほしい。

キルケゴールの言いたいことはそんなことじゃない。
大切なのは「叶うか、叶わないか」ではない。
「可能性」を信じれるか、信じれないかだ。
人は可能性があるなら、それに向かって頑張ることができるのだ!

だから、可能性を見れるならこんな考えをしたっていい、
「実はこの世界は夢で、死んだら夢が覚める。だから、目が覚めるときに備えよう!」
とか、
「論理物理学で”ホログラフィック宇宙論”が唱えられていて、その論理では魂は別のところにあるというじゃないか!だったらこの肉体が死んでも私の魂は死なない。私の願いはまだ叶う可能性がある!!」とか
無茶だって何だっていいんだ。

キルケゴールの言いたいことは
「自分の幸福のためにどんな不可能に思える状況でも、腐らず、諦めず、前向きに、不幸を感じる間もないほど可能性を模索し続けろ!それこそが、理想の自分という厄介な病気に立ち向かうただ一つの方法だ!」
ということだ。

私はこの考え方がとても好きだ。
不幸を感じているとき、
この「可能性」という特効薬を使ってみるのはいかがでしょうか?