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「面倒くさい」という阿呆な言葉

私は昔から「面倒くさい」という言葉を使いがちだ。
思えば学生の頃はテストの時期が近付く度に、

「テスト勉強めんどくせぇー」

と言っていたし、
私は陽気な人間でもないので、イベントや行事が嫌いだから、

「修学旅行めんどくせぇー」

と言っていた。
今でも、

「会社の飲み会めんどくせぇー」

と、よく思っている。
ただ、昔と違うことは「面倒くさい」と思っていても、 その言葉は使わなくした。

「いやいや、使わなくても思ってるんなら意味ないじゃん。」
と思う方もいるかもしれないが、そんなことはない。

例えば、
A「テスト勉強めんどくせぇー」
B「確かにテストめんどいわ。やりたくねぇー」
A「まだテスト2週間前だし勉強しなくていいか」
B「そうだな、来週から本気だそう」
といった会話があったとする。

とても、普通の会話に思えるが、どうだろう?
この人たちは何でテスト勉強をやりたくないか、あなたにわかるだろうか?
仮にAさんは「昨日発売したゲームがやりたくて」、
「面倒くさい」という言葉を使っていて、
Bさんは「テスト勉強する場所や方法がわからなくて」
「面倒くさい」という言葉を使っていたとする。
そうするとこの二人の会話は一見噛み合っているように思えるが、
「面倒くさい」という言葉の意味合いは全然噛み合っていない。

そして何より怖いのが「面倒くさい」という言葉を使ったせいで、
自分自身が「面倒くさい」原因に気づけないパターンだ。
私はBさんのようなタイプの人間だったけど、
「面倒くさい」と言っていたせいで
「テスト勉強の一番大変なこと勉強の計画を立てることだ」
という本質的な面倒くささが、自分自身で分かっていなかった。
たぶん、面倒くさいという言葉がなかったら
「どこを、どのくらい勉強したらいいかわからないなぁ」
という言葉を言っていただろう。

「面倒くさい」って言葉はなんとなくニュアンスで他人に伝わってしまうし、
他人や自分もなんとなくそれで納得できてしまう、
最高に便利な言葉だけど、
なぜそれが「面倒くさいのか?」という
「自分自身の思慮」を阻止して、考慮不足な人間(阿呆な人間)にしてしまう、
最高に阿呆な言葉でもある。

今でも誰かと会話してて、「面倒くさい」という言葉が出てしまうことがあるが、
すぐに「面倒くさいというより○○だよね」と言い換えるようにしている。
これからも、面倒くさがってもいいけど
「面倒くさい」と言うだけで終わらせないように気をつけたい。