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python bump 日々のことなど

会社の飲み会という害悪

会社で新たなプロジェクトが始まったとき、
さも当然の如く存在する行事がある。
飲み会である。
この飲み会という行事、
何か新しく始まる時や終わるときに、存在しがちだ。
私はこの行事が限りなく嫌いだ。
まず、知らん人間と会話していても楽しくないし、
お金もかかる。ましてや、コミュ障の私が知らん人と楽しく会話できる筈もなく、
私と同じく暇を持て余してそうな人間を見つけて、
一問一答の質疑応答を延々繰り返す作業になる。
これで、飲み会に行きたいと思えというほうが不可能だ。

今までだって、出来るだけ私は飲み会を回避してきた。
新入社員が入ったときの歓迎会や、忘年会は社員全員が出席するので、
欠席しやすくまだいい。新入社員のころは欠席する罪悪感が多少なりともあったが、
今では何も気にも留めず欠席できるレベルに至った。

だが、プロジェクト単位の飲み会は話が違う。
参加人数が少なく、欠席の有無を取るのは上司がやることが多い。
参加人数が少ないから欠席することが目立ってしまうし、
上司に「今日は用事があるんで(意訳:あんたとは飲みたくない)」と直接言わなければいけない。
これは非常に強い意志が必要だ。
中学生のころ、覚せい剤は絶対だめというビデオを見せられて
「NOといえる勇気」という言葉を教えられたが、
まさに、こういう状況でNOと言えない私は、
誘われたら覚せい剤を使ってしまう人間なのだろう。
そして、周りの人間に合わせて自分の意見を言わずに、
陰(ブログ)で愚痴を垂れている非常にゴミクズのような存在だ。

そんな私だって、飲み会の重要性はわかっているつもりだ。
部下の人たち同士が疎遠だと、
プロジェクトは非常にやりづらいことになるのだ。
同じような作業をしている人同士でコミュニケーションの
ハードルが高い(あまり仲が良くない)と作業にムラが出やすい。
些細な疑問を聞ける関係か否かは、仕事をやる上で非常に重要な事柄だ。
そのハードルを下げる目的で飲み会をする意味は確かにあると思う。

ただ、エピソードトーク力のないコミュ障のことをもう少し考えてほしいと思う。
私は一対一や親しい人同士のグループでの会話は大丈夫なタイプの人間だが、
エピソードトークが全然うまくない。
飲み会はひとりでそれなりに面白い話ができる人間が話題の中心になり、
お互いがお互いを掘り下げる1対1の会話のような関係にはあまりならない。
私のようなトーク力に自信のない人間は、
自らの話を見知らぬ人に披露しようという気には当然なれず、
ただ話を「はい、はい」と頷く人形になり、
結局一言も話さないまま終わるという状況になることもある。
こうなると、もはや何のために飲み会に出ているのか意味がわからない。
飲み会で一言も話さない変人というレッテルを張られた被害妄想に陥り、
結局、プロジェクトの人間と、より疎遠な関係が構築されていく。

べつに、飲み会を無くせと言っているわけではない。
私がしているのは全員を誘わなくても、
仲のいい人間だけで行けばいいじゃないかという話だ。
誘われなかったら少しは落ち込むかもしれないが、
その程度の関係しか構築できなかった自分が悪いと思えばいい。
そして、誘われたかったらもっと話しかけてよい関係を自分で築こうとする。
だから、プロジェクトという単位で飲み会はせず、
仲の良い人たちだけで飲みに行ってほしい。

SNSが発達して、表と裏の顔を使い分けるようになり、
コミュ障な人間が増加していると思う。
会社の飲み会がめんどくさいという話もよく聞く話だ。
こんな時代だからこそ、義務感で飲み会に誘ったり、
義務感で飲み会に参加する人がいなくなればよいと心から思う。
要するに何が言いたいかというと飲み会行きたくない、、、